2008年1月21日月曜日

芥川漢字演習帳第3回

 【桃太郎】

  ●《流蘇》(ふさ)

  「花は真紅の衣蓋に黄金の流蘇を垂らしたようである。」

 →房、総のこと。熟字訓。五彩の絲を雑へて旌旗(セイキ。 はた、のぼり、軍旗)、幕につけるふさ。ウィキには「色とりどりの羽毛、または絹糸を束ねて作られた房の飾りである(房のことを中国で は穂子 スイズという)。よく中国の舞台衣装に使われるスカートの下についている。 流蘇のデザインは流蘇樹の花の形から発想を得たとされる」とある。

 【湖南の扇】

 ●艫(へさき)

  「譚は若い船頭に命令を与える必要上、ボオトの艫に陣どっていた。」

 →船首。1級配当。「舳艫千里」(ジクロセンリ)という四字熟語がありますが、この場合、「舳」は船首、「艫」は船尾。今回とは逆になります。船尾は「とも」。文脈を読めば、命令するのですから船首となるでしょう。日中で意味が逆になるという説もあり注意が必要です。

 ●蝗(いなご)

 「それは実際人間よりも、蝗に近い早業だった。」

 →1級配当。《飛蝗》は「ばった」。

 ●話頭を一転する(ワトウ)

 「ちょっと真面目になったと思うと、無造作に話頭を一転した。」

 →話題を変えること。閑話休題ですね。

 ●倉皇(ソウコウ)

 「殆ど仇にでも遇ったように倉皇と僕にオペラ・グラスを渡した。」

 →あわてて。「蒼惶」の書き換えですね。よく出ます。

 ●宛囀(エンテン)

 「片手を彼の膝の上に置き、宛囀と何かしゃべり出した。」

 →よどみなく調子のよいこと。宛転とも書きます。「囀」は「さえずる」こと。つくりは艱しく、「くちぐるま、じゅうたむすん」と我流で覚えました。有名な古諺に「勧学院の雀は蒙求を囀る」があります。意味は「門前の小僧習わぬ経を誦む」。

 〔オマケ〕

 この作品は舞台が湖南省です。中国語がいくつか出てきましたので羅列しておきます。
 ▼苦力(クウリイ)=人夫
 ▼大掛児(タアクアル)=足首まで長い単の上着。中国服。
 ▼鴇婦(ポオプウ)=遊女の世話をする老女。
 ▼是了(シイラ)=OK、YES
 ▼這箇(チイコ)=それで、その


 【点鬼簿】

 ●点鬼簿(テンキボ)

 「僕の『点鬼簿』に加えたいのは勿論この姉のことではない。」

 →死者の姓名を記した帳面。過去帳。「死ぬ」という慣用句の「鬼籍に入る」は、閻魔大王の閻魔帳に名前が記されること。

 ●垂死(スイシ)

 「垂死の僕の父を残したまま、築地のある待合へ出かけて行った。」

 →今にも死にそうなこと。類義語は「瀕死」「危篤」。「垂とする」は表外読みで「なんなん・とする」。「今にも~しそう」という意味です。「百歳に垂とする老人」「観客は5万人に垂とする」のように使います。

 【枯野抄】

 ●扞格(カンカク)

 「…この満足と悔恨の扞格から、自然とある程度の掣肘を感じ出した。」

 →矛盾。撞着。「扞」は1級配当。訓読みは「ふせ・ぐ」「おか・す」とも。「扞」も「格」も意味は「こばむ」です。簡単な字ですが、なかなか馴染みが薄い言葉です。しっかり覚えましょう。異体字で「捍格」とも書きます。有名な故事成語に「白刃(ハクジン)胸を扞(おか)せば則ち目流矢(リュウシ)を見ず」(大きな困難に出会ったときには、小さな問題にかかわっていられないこと)があります。出典は「荀子」の「彊国」。ちなみに「掣肘」は「セイチュウ」で、横槍、邪魔の意味。

 ●哄笑(コウショウ)

 「それはまるで腹の底からこみ上げて来る哄笑が、喉と唇とに堰かれながら、しかもなお可笑しさに堪え兼ねて、ちぎれちぎれに鼻の孔から、迸って来るような声であった。」

 →どっと笑うこと。大笑い。一人では出来ない笑いです。「哄」は1級配当。笑いの種類には、「嗤笑」(シショウ)、「哂笑」(シンショウ)は嘲り笑うこと(嘲笑)もあります。いずれも読みに注意の1級漢字です。

 ●歔欷(キョキ)

 「が、この時歔欷するらしいけはいを洩らしたのは、独り乙州ばかりではない。」

 →啜り泣き。いずれも1級配当。それぞれ一字で「欷き、歔き」とも訓みます。口偏で「噓唏」とも書きます。音符からキョキと読めると思いますが、本番では書けなければいけません。よくでます。

 ●横風に構える(オウフウ)

 「彼はいつもの通り浅黒い顔に、いつも妙に横風に構えながら、無造作に師匠の唇へ水を塗った。」

 →偉そうに人を見くだす態度をとること。類義語に「不遜」「 倨傲」(キョゴウ)「 傍若無人」「 傲倨」「 傲岸」「 傲岸不遜」(ゴウガンフソン)「 傲岸無礼」「傲慢」「 尊大」「強慢」「 権高」(ケンコウ)「 横柄」(オウヘイ)「気位」「自惚れ」「驕傲」(キョウゴウ)「驕慢」などがあり、すべて読めて書けるようにしましょう。

 ●素懐(ソカイ)

 「こう云う美しい蒲団の上で、往生の素懐を遂げる事が出来るのは、何よりも悦ばしい」

 →平素の願い。かねての志。特に仏教で、極楽往生や出家を願うこと。類義語は「宿願」「宿望」「素子」「宿志」「素意」。

 ●弾指の間に迫る(ダンシのカン)

 「芭蕉の断末魔もすでにもう、弾指の間に迫ったのであろう。」

 →わずかの間に迫る。すぐそこまで来ていること。「弾指」は「ダンジ」とも読み、「本来、仏教でいう時間の最小単位で、一つの意識の起こる時間」。正法眼蔵に「一弾指の間に六十五の刹那ありて」と見える。一説に「1弾指=0.85秒、1刹那=0.01333秒、あるいは1刹那=1/75秒」とか。
 きわめて短い時間を表す言葉はたくさんあります。「露の間」」(つゆのま) 「寸陰」 (すんいん) 「刹那」」(せつな)。

 ●■□逡巡(シソシュンジュン)

 「それならば――ああ、誰かに徒に■□逡巡して、己を欺くの愚を敢てしよう。」

 →ためらうこと。■は「足偏+咨」(JIS第4水準8941)。□は「足偏+且」(JIS第4水準8928)。いずれも1級配当外のとても難しい漢字です。意味は「とどこおること」「ゆきなやむこと」。四字熟語では「狐疑逡巡」を覚えておけばいいのですが、遉は芥川です、とても素晴しい語彙です。

 ●桎梏(シッコク)

 「久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈していた彼の自由な精神が、その本来の力をもって、ようやく手足を伸ばそうとする、解放の喜びだったのである。」

 →自由を束縛して邪魔だてすること。いずれも1級配当。この「桎梏」という熟語のみで使います。ちなみに「桎」は「あしかせ」、「梏」は「てかせ」。

 ●溘然(コウゼン)、属纊に就く(ショクコウ、ショッコウ)

 「こうして、古今に倫を絶した俳諧の大宗匠、芭蕉庵松尾桃青、『悲歎かぎりなき』門弟たちに囲まれたまま、溘然として属纊に就いたのである。」

 →たちまち、突然。死ぬときに使います。「溘焉」とも言います。1級配当。読みでも書きでも出そう。
 →臨終のこと。とても艱しい言葉です。初めて見ました。辞書で銓べても載っていません。サイト検索で、「人の臨終の時、綿をもって属鼻穴を纊す。息の絶を知る。故に臨終と呼(ヨバ)して属纊といふ」「死にかかった人の口に纊をあてて、呼吸の有無をみることをいふ」というのがみつかりましたので、そのまま載せておきます。「纊(わた)を屬(つ)く」というのもありました。「臨終の前の危篤状態」のことで、「纊(こう)」は「わた(綿)」。1級配当漢字です。「むかしの中国の「礼」で、人が臨終するとき、綿を口に近づけ、息をしているかどうか確かめたことから」とありました。あまり問題で見たことはありません。流石は博識の芥川ですな。

0 件のコメント: