芥川漢字勉彊の序盤の山場といえる「地獄変」です。 語彙が豊富です。泣く泣く落としたものも多いです。
【地獄変】
●〔群盲の象を撫でる〕(グンモウのゾウをなでる)
「中にはまた、そこを色々とあげつらって大殿様の御性行を始皇帝や煬帝に比べるものもございますが、それは諺に云う群盲の象を撫でるようなものでございましょうか。」
→凡人が大事業や大人物を批評しても、所詮一部分だけしか見られずすべてを見渡すことはできないこと。成語林には、「群盲象を評す」「群盲象を模す」ともあり、元々は、6人の盲人が象の姿かたちを言い当てることが出来ないように、「人々が仏の真理をなかなかただしく知り得ないことをいった」(出典は「涅槃経・六度経」)。偏った見方しかできない人たちが大勢集まっても、物事の本質を見抜けずに不毛な議論に終始する―。現世を言い表しているような気がします。
●大腹中(ダイフクチュウ)
「…云わば天下と共に楽しむとでも申しそうな、大腹中の御器量がございました。」
→度量の大きいこと。宛字で「ふとっぱら」と訓んでもよさそう。
●瘡(もがさ)
「それからまた華陀の術を伝えた震旦の僧に、御腿の瘡を御切らせになった事もございますし、…」
→天然痘、できもの。1級配当。「もがさ」は熟字訓で《痘瘡》とも書きます。「疱瘡」の熟語があります。「疱」も「もがさ」。「瘡」は、きずあとの意味もあり、「瘡痍」(ソウイ)、「瘡瘢」(ソウハン)、の熟語があります。
●跛(びっこ)
「例の小猿の良秀が、大方足でも挫いたのでございましょう、いつものように柱へ駆け上る元気もなく、跛を引き引き、一散に、逃げて参るのでございます。」
→差別用語ですな。「あしなえ」ともいいます。1級配当で音読みは「ハ」。経済用語に「跛行景気」(ハコウケイキ=釣り合いが取れない状態で動く景気のこと。業界によって景気変動の波に大きな差があること)がありますね。四字熟語には「跛鼈千里」(ハベツモセンリ=努力があれば才能がなくても成功する)。ちなみに、「鼈」は、「鼈甲」(ベッコウ)のスッポンのことです。また、「跛立箕坐」(ハリュウキザ=無作法なさま)という馴染みの薄い四字熟語もあり、この場合の「跛」は「片足で立つこと」。
●楚(すわえ)
「しかもその後からは楚をふり上げた若殿様が『柑子盗人め、待て。待て』と仰有りながら、追いかけていらっしゃるのではございませんか。」
→柴のむち(1本ずつばらばらになった柴)。準1級配当。「しもと」とも訓みます。むちと言えば「笞」が一般的で、「鞭」「捶」「敲」「韃」「荊」「策」などもあります。「鞭撻」(ベンタツ)、「推敲」(スイコウ)など基本熟語も覚えましょう。「楚」は音読みで「ソ」。基本熟語は、「楚々」(ソソ)=可憐なさま、「楚腰」(ソヨウ)=美人のなよやかな腰つき、「四面楚歌」(シメンソカ)=まわりを敵に取り囲まれたと思うこと。
●慳貪(ケンドン)
「その癖と申しますのは、吝嗇で、慳貪で、恥知らずで、怠けもので、強慾で――いやその中でも取分け甚しいのは、横柄で高慢で、いつも本朝第一の絵師と申す事を鼻の先へぶら下げている事でございましょう。」
→ケチ。いずれも1級配当で、類義語は「吝嗇」「悋嗇」。「慳」は「おしむ」「けちけちする」。「貪」は「むさぼる」「よくばり」。「タン」とも読み、「貪吝」(タンリン)、「貪婪」(タンラン)の熟語があります。「突慳貪」(ツッケンドン)、「邪慳」(ジャケン)もありました。いずれも、人間を評するにマイナスの言葉ばかりです。
●〔横紙破り〕(よこがみやぶり)、横道者(オウドウモノ)
「が、何分前にも申し上げました通り、横紙破りな男でございますから、それが反って良秀は大自慢で、いつぞや大殿様が御冗談に、…」
→習慣に外れたことを無理にも行おうとすること。「横紙を裂く」とも云います。横車を押すこと。
「この何とも云いようのない、横道者の良秀にさえ、たった一つ人間らしい、情愛のある所がございました。」
→よこしまな人。人としての道から外れている者。
成語林によりますと、横紙を破るというのは、「和紙は漉き目が縦に通っていて、縦には破りやすいが、横には破りにくいことからいう。一説に、『よこがみ』は『軸』の和名で、車を横ざまに押し、車軸を壊すような無理無体な行為をすること」。横車も同じですね。車は横には押しにくい。「横」というのはとかく王道から外れたものとの位置づけのようです。「横道」はいけない。
●牛頭馬頭(ゴズメズ)
「とにかくそう云ういろいろの人間が、火と煙とが逆捲く中を、牛頭馬頭の獄卒に虐まれて、大風に吹き散らされる落葉のように、紛々と四方八方へ…」
→地獄にいる鬼のことで、牛頭人身のものと馬頭人身のもの。読みがなかなか難しい。覚えるしかない。
●《神巫》(かんなぎ)
「蜘蛛よりも手足を縮めている女は、神巫の類ででもございましょうか。」
→熟字訓ですが、「いちこ」と訓むのが一般的のようです。ウィキペによりますと、「霊・生き霊(りょう)・死霊(しりょう)を呪文を唱えて招き寄せ、その意中を語ることを業とする女性。梓巫(あずさみこ)。巫女(みこ)。口寄(くちよ)せ」とあります。「かんなぎ」と訓むのであればむしろ、「巫覡」(音読みはフゲキ、両方とも1級配当)。ウィキペには「《「神和(かんな)ぎ」の意。「かむなぎ」とも表記》神に仕えて、神楽を奏して神意を慰め、また、神降ろしなどをする人。男を「おかんなぎ(覡)」、女を「めかんなぎ(巫)」という。令制では神祇官の所管に五人が置かれ、古代社会の司祭者の遺風を存した。こうなぎ。みこ。いちこ」。「いちこ=かんなぎ」。
●入神の出来映え(ニュウシン)
「これを見るものの耳の底には、自然と物凄い叫喚の声が伝わって来るかと疑うほど、入神の出来映えでございました。」
→技術が上達して霊妙の域に達した技。トランス状態における無我の力作かもしれません。
●苦艱(クゲン)
「またさもなければいかに良秀でも、どうしてかように生々と奈落の苦艱が画かれましょう。」
→なやみくるしむこと。「クカン」とも読む。「艱」は1級配当。訓読みで「なや・む」。「艱苦」「艱難辛苦」(カンナンシンク)のように通常は「カン」と読むのが一般的でしょう。「カン」は漢音、「ケン(ゲン)」は呉音。「つらいこと」「難儀なこと」。故事成語の「艱難汝を玉にす」も覚えておきましょう。「艱窘」(カンキン=饑饉の年)は、読みで試験に出るかも。
●燥ったい(じれ・ったい)
「が、良秀の方では、相手の愚図々々しているのが、燥ったくなって参ったのでございましょう。」
→宛字ですね。通常は「焦れったい」。「燥」は、「かわ・く」「はしゃぐ」という意味がありますが、乾いて焦げてといった連想から宛てたのでしょうか。雰囲気は出ていますが、読めといわれたら中々難しいですな。
●《髑髏》(されこうべ)
「でございますから、ある時は机の上に髑髏がのっていたり、ある時はまた、銀の椀や蒔絵の高坏が並んでいたり、その時描いている画次第で、…」
→熟字訓。どくろですね。いずれも1級配当。1級受検者にとっては、読めるのは勿論、書けなければいけません。「ほねへん」+、つくりである「蜀」(独の旧字である獨と同じつくり)、「婁」(縷々と同じつくり)。セットで覚えましょう。
●《耳木兎》(みみずく)
「都育ちの人間はそれだから困る。これは二三日前に鞍馬の猟師がわしにくれた耳木兎と云う鳥だ。ただ、こんなに馴れているのは、沢山あるまい」
→熟字訓。《角鴟》、《木莵》、《鴟■》とも書きます(■=休+鳥)。「フクロウ」との違いはよく分かりません。耳のような部分があるかないかでしょうか。フクロウは「梟」。1級配当で音読みは「キョウ」。基本熟語は「梟雄」「梟勇」(いずれもキョウユウ)。「梟し首」(さらしくび=晒し首)は難読語彙。
●《水沫》(しぶき)、饐えた(すえた)
「その度にばさばさと、淒じく翼を鳴すのが、落葉の匂だか、滝の水沫ともあるいはまた猿酒の饐えたいき
れだか何やら怪しげなもののけはいを誘って、…」
→熟字訓。普通は《飛沫》と書きます。「沫」は準1級配当で、音読みは「マツ」、訓読みは「あわ」。基本熟語は「飛沫」(ヒマツ)、「泡沫」(ホウマツ)、「沫雪」(あわゆき)=淡雪。
→食物がくさって、酸っぱくなること。湯気がこもって飯が酸っぱくなること。1級配当。「饐る(くさ・る)」と訓むこともあります。同じ音符の「噎」(エツ)も1級配当で、こちらは「むせ・ぶ」。喉を詰まらせて涕く意味の「噎び泣き」ですね。「噫噎」(アイエツ)という難読熟語も。「饐」も「饐ぶ」(むせぶ)と訓むことがあるようです。
●更が闌ける(コウがたける)
「ちょうどその頃の事でございましょう。ある夜、更が闌けてから、私が独り御廊下を通りからりますと、あの猿の良秀がいきなりどこからか飛んで参りまして、私の袴の裾をしきりにひっぱるのでございます。」
→夜が深々と更けること。「更闌ける」ともいう。「更」は、日没から日出までの間を五等分して喚ぶ時刻の名。午後7時から同9時の日暮れ後が「一更(初更)」、同9時から同11時が「二更」、同11時から午前1時が「三更」、同1時から同3時が「四更」、そして、同3時から同5時の夜明け前が「五更」。
「闌ける」は「時間がたけなわになること」。「闌」は1級配当で「たけなわ」。音読みは「ラン」。「たけなわ」は「酣」(1級配当、「カン」)とも書き、必須漢字。「宴も…」と来ると、「酣」か「闌」のどちらがふさわしいか?「たけなわ」と言っても、前者が「やや盛りが過ぎ気味」、後者が「まさに真っ盛り」と微妙に意味は違うようですから、その場の盛り上がり具合で使い分けるのでしょうね。
●しどけない
「頬も赤く燃えて居りましたろう。そこへしどけなく乱れた袴や袿が、いつもの幼さとは打って変った艶しささえも添えております。」
→身なりがだらしなく乱れたさま。多くは女性の服装がだらしないさまを云います。残念ながら宛てられる漢字はないようです。ちなみに「袴」は「はかま」、「袿」は「うちぎ」。「袿」は1級配当で「貴婦人が襲の上に着た衣服」。良秀の娘は「既遂」なのか「未遂」なのか。仮に「既遂」であったとしても「心」までは売らなかったことが「逆鱗」に触れたのか?気になるところです。
●嗄れた(しわがれた)
「いつもよりは一層気むずかしそうな顔をしながら。恭しく御前へ平伏致しましたが、やがて嗄れた声で申しますには、…」
→声がかすれていること。「嗄」は1級配当。音読みは「サ」。「嗄声」(サセイ)。訓読みは、「しわがれる」「かれる」「しゃがれる」。
●睨める(ねめる)
「しばらくはただ苛立たしそうに、良秀の顔を睨めて御出になりましたが、やがて眉を険しく御動かしになりながら、『では何が描けぬと申すのじゃ。』と打捨るように仰有ました。」
→にらみつけること。「睨」は1級配当で、音読みは「ゲイ」。「睥睨」(ヘイゲイ)は基本熟語。「にらむ」は、「睨む」「睥む」「睚む」「眦む」「眥む」「眈む」「盻む」「俾む」「倪む」があります。有名な故事成語の「睚眥の怨みも必ず報ゆ」(ガイサイのうらみ)はぜひ覚えましょう。「ちょっとガンを飛ばされたような恨みも忘れぬ。いつか絶対仕返ししてやる」ということです。お~こわ。
●檳榔毛の車(ビロウげ)
「『どうか檳榔毛の車を一輛、私の見ている前で、火をかけて頂きとうございまする。そうしてもし出来まするならば――』 」
→檳榔または菅の葉を細かく割いて毛のようにして編んだもので屋根を葺いてある牛車のこと。「毛車(けぐるま)」ともいう。上皇以下四位以上・ 僧正・大 僧都・ 女房らが使用する。蘇芳簾、蘇芳裾濃の 下簾、物見がなく開き戸があり、 繧燗縁(うんげんべり)の 畳を敷いてあった。
「檳榔」(ビロウ、ともに1級配当)はヤシ科の熱帯産の常緑樹。姿は棕櫚(シュロ)に似ている。葉を白く晒して細かく裂いたもので、牛車の屋根を葺いたり左右の側面を飾ったりした。
▼牛車のパーツにもさまざまな漢字が使われています。「轅」(ながえ)は、車の前方、左右に長く前に出ている木のこと。「榻」(しじ)は、机のような形をした台で、車から牛を放した時に車を水平に保つため「軛」(くびき=轅の端にあって、牛の頚に当る横木のこと)の下に置くもの。上に錦を押し、四方の隅に 総角に結んだ紐を垂れる。
●鷙鳥(シチョウ)
「そうしてそのまわりには、怪しげな鷙鳥が十羽となく、二十羽となく、嘴を鳴らして紛々と飛び繞っているのでございまする。――ああ、それが、その牛車の中の上臈が、どうしても私には描けませぬ。」
→鷲、鷹などの猛禽。ほかの鳥や小動物を捕捉する。「鷙禽」とも。「鷙」は1級配当で、「荒々しい」。故事成語に「鷙鳥百を累(かさ)ぬるも一鶚(イチガク)に如かず」があります。意味は「無能なものが大勢で騒いでも、たった一人の有能な人物にはかなわない」。「鶚」は1級配当で、「みさご」(「雎」)。目が鋭く、水辺にすんで魚を捕らえる、やはりこれも鷙鳥ですが、さらに上をいく「鋭い人物」をたとえるもののようです。出典は後漢書「魯仲連鄒陽伝」。ちなみに「嘴」は1級配当で「くちばし」。「繞る」は「めぐる」。「上臈(=﨟)」は「じょうろう」。高級女官のことです。「臈長ける」(ろうたける)もお忘れなく。
●流し眄(ながしめ)
「大殿様はこう仰有って、御側の者たちの方を流し眄に御覧になりました。」
→「眄」は1級配当で、これ一字でも「ながしめ」と訓みます。音読みは「ベン」。四字熟語に「きょろきょろする」という意味の「右顧左眄」(ウコサベン)があります。「眄睨」(ベンゲイ)は「ながしめでにらむ」。
●眴せ(めくばせ)
「大殿様はまた言を御止めになって、御側の者たちに眴をなさいました。」
→「眴」は1級配当外(JIS第3水準8880)で「またたく」。漢字の構成は、目偏に「旬」。日が十日で一巡りすることから、目がくるくると回る、素早く目を回すなどの意味です。覚えやすいですな。
●すべらかし、釵子(サイシ)
「きらびやかな繍のある桜の唐衣にすべらかし黒髪が艶やかに垂れて、うちかたむいた黄金の釵子も美しく輝いて見えましたが、身なりこそ違え、小造りな体つきは、…」
→垂髪。たれがみ。婦人の下げ髪の一種。十二単(じゅうにひとえ)を着る時の後ろに長く垂れ下げた髪型のこと。正式には、“大垂髪(おおすべらかし) ”といいます。髪飾りとして、釵子(さいし)をつけます。
→髪を結い上げてまとめるときに用いる、ヘアピン的なもの。女房装束(にょうぼうしょうぞく)で、宝髻(ホウケイ)という、額上にお団子をひとつ結い上げたような髪型にするときなどに使用する。「釵」は1級配当で、訓読みは「かんざし」。「笄」「簪」もなかまですね。四字熟語にやや艱しい「荊釵布裙」(ケイサイフクン=粗末な服装の喻え)があり。
●法悦(ホウエツ)
「あのさっきまで地獄の責苦に悩んでいたような良秀は、今は云いようのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮かべながら、大殿様の御前も忘れたのか、両腕をしっかり胸に組んで、佇んでいるではございませんか。」
→神の神髄に触れることで湧き起こる至上の喜び。忘我のエクスタシーですね。
●随喜(ズイキ)
「まして私たちは仕丁までも、皆息をひそめながら、身の内も震えるばかり、異様な随喜の心に充ち満ちて、まるで開眼の仏でも見るように、眼も離さず、良秀を見つめました。」
→心からありがたいと感ずること。「随喜渇仰」(ズイキカツゴウ)は、「心から喜んで仏道に帰依し、深く仏を信仰すること。また、深く物事に打ち込み熱中すること」。「随喜の涙」は「善行に接したとき、喜びのあまりに零す涙」。ちなみに《芋茎》も「ずいき」と訓みます。意味は「サトイモの茎」。全く関係ありませんね。