芥川漢字勉彊の序盤の山場といえる「地獄変」です。 語彙が豊富です。泣く泣く落としたものも多いです。
【地獄変】
●〔群盲の象を撫でる〕(グンモウのゾウをなでる)
「中にはまた、そこを色々とあげつらって大殿様の御性行を始皇帝や煬帝に比べるものもございますが、それは諺に云う群盲の象を撫でるようなものでございましょうか。」
→凡人が大事業や大人物を批評しても、所詮一部分だけしか見られずすべてを見渡すことはできないこと。成語林には、「群盲象を評す」「群盲象を模す」ともあり、元々は、6人の盲人が象の姿かたちを言い当てることが出来ないように、「人々が仏の真理をなかなかただしく知り得ないことをいった」(出典は「涅槃経・六度経」)。偏った見方しかできない人たちが大勢集まっても、物事の本質を見抜けずに不毛な議論に終始する―。現世を言い表しているような気がします。
●大腹中(ダイフクチュウ)
「…云わば天下と共に楽しむとでも申しそうな、大腹中の御器量がございました。」
→度量の大きいこと。宛字で「ふとっぱら」と訓んでもよさそう。
●瘡(もがさ)
「それからまた華陀の術を伝えた震旦の僧に、御腿の瘡を御切らせになった事もございますし、…」
→天然痘、できもの。1級配当。「もがさ」は熟字訓で《痘瘡》とも書きます。「疱瘡」の熟語があります。「疱」も「もがさ」。「瘡」は、きずあとの意味もあり、「瘡痍」(ソウイ)、「瘡瘢」(ソウハン)、の熟語があります。
●跛(びっこ)
「例の小猿の良秀が、大方足でも挫いたのでございましょう、いつものように柱へ駆け上る元気もなく、跛を引き引き、一散に、逃げて参るのでございます。」
→差別用語ですな。「あしなえ」ともいいます。1級配当で音読みは「ハ」。経済用語に「跛行景気」(ハコウケイキ=釣り合いが取れない状態で動く景気のこと。業界によって景気変動の波に大きな差があること)がありますね。四字熟語には「跛鼈千里」(ハベツモセンリ=努力があれば才能がなくても成功する)。ちなみに、「鼈」は、「鼈甲」(ベッコウ)のスッポンのことです。また、「跛立箕坐」(ハリュウキザ=無作法なさま)という馴染みの薄い四字熟語もあり、この場合の「跛」は「片足で立つこと」。
●楚(すわえ)
「しかもその後からは楚をふり上げた若殿様が『柑子盗人め、待て。待て』と仰有りながら、追いかけていらっしゃるのではございませんか。」
→柴のむち(1本ずつばらばらになった柴)。準1級配当。「しもと」とも訓みます。むちと言えば「笞」が一般的で、「鞭」「捶」「敲」「韃」「荊」「策」などもあります。「鞭撻」(ベンタツ)、「推敲」(スイコウ)など基本熟語も覚えましょう。「楚」は音読みで「ソ」。基本熟語は、「楚々」(ソソ)=可憐なさま、「楚腰」(ソヨウ)=美人のなよやかな腰つき、「四面楚歌」(シメンソカ)=まわりを敵に取り囲まれたと思うこと。
●慳貪(ケンドン)
「その癖と申しますのは、吝嗇で、慳貪で、恥知らずで、怠けもので、強慾で――いやその中でも取分け甚しいのは、横柄で高慢で、いつも本朝第一の絵師と申す事を鼻の先へぶら下げている事でございましょう。」
→ケチ。いずれも1級配当で、類義語は「吝嗇」「悋嗇」。「慳」は「おしむ」「けちけちする」。「貪」は「むさぼる」「よくばり」。「タン」とも読み、「貪吝」(タンリン)、「貪婪」(タンラン)の熟語があります。「突慳貪」(ツッケンドン)、「邪慳」(ジャケン)もありました。いずれも、人間を評するにマイナスの言葉ばかりです。
●〔横紙破り〕(よこがみやぶり)、横道者(オウドウモノ)
「が、何分前にも申し上げました通り、横紙破りな男でございますから、それが反って良秀は大自慢で、いつぞや大殿様が御冗談に、…」
→習慣に外れたことを無理にも行おうとすること。「横紙を裂く」とも云います。横車を押すこと。
「この何とも云いようのない、横道者の良秀にさえ、たった一つ人間らしい、情愛のある所がございました。」
→よこしまな人。人としての道から外れている者。
成語林によりますと、横紙を破るというのは、「和紙は漉き目が縦に通っていて、縦には破りやすいが、横には破りにくいことからいう。一説に、『よこがみ』は『軸』の和名で、車を横ざまに押し、車軸を壊すような無理無体な行為をすること」。横車も同じですね。車は横には押しにくい。「横」というのはとかく王道から外れたものとの位置づけのようです。「横道」はいけない。
●牛頭馬頭(ゴズメズ)
「とにかくそう云ういろいろの人間が、火と煙とが逆捲く中を、牛頭馬頭の獄卒に虐まれて、大風に吹き散らされる落葉のように、紛々と四方八方へ…」
→地獄にいる鬼のことで、牛頭人身のものと馬頭人身のもの。読みがなかなか難しい。覚えるしかない。
●《神巫》(かんなぎ)
「蜘蛛よりも手足を縮めている女は、神巫の類ででもございましょうか。」
→熟字訓ですが、「いちこ」と訓むのが一般的のようです。ウィキペによりますと、「霊・生き霊(りょう)・死霊(しりょう)を呪文を唱えて招き寄せ、その意中を語ることを業とする女性。梓巫(あずさみこ)。巫女(みこ)。口寄(くちよ)せ」とあります。「かんなぎ」と訓むのであればむしろ、「巫覡」(音読みはフゲキ、両方とも1級配当)。ウィキペには「《「神和(かんな)ぎ」の意。「かむなぎ」とも表記》神に仕えて、神楽を奏して神意を慰め、また、神降ろしなどをする人。男を「おかんなぎ(覡)」、女を「めかんなぎ(巫)」という。令制では神祇官の所管に五人が置かれ、古代社会の司祭者の遺風を存した。こうなぎ。みこ。いちこ」。「いちこ=かんなぎ」。
●入神の出来映え(ニュウシン)
「これを見るものの耳の底には、自然と物凄い叫喚の声が伝わって来るかと疑うほど、入神の出来映えでございました。」
→技術が上達して霊妙の域に達した技。トランス状態における無我の力作かもしれません。
●苦艱(クゲン)
「またさもなければいかに良秀でも、どうしてかように生々と奈落の苦艱が画かれましょう。」
→なやみくるしむこと。「クカン」とも読む。「艱」は1級配当。訓読みで「なや・む」。「艱苦」「艱難辛苦」(カンナンシンク)のように通常は「カン」と読むのが一般的でしょう。「カン」は漢音、「ケン(ゲン)」は呉音。「つらいこと」「難儀なこと」。故事成語の「艱難汝を玉にす」も覚えておきましょう。「艱窘」(カンキン=饑饉の年)は、読みで試験に出るかも。
●燥ったい(じれ・ったい)
「が、良秀の方では、相手の愚図々々しているのが、燥ったくなって参ったのでございましょう。」
→宛字ですね。通常は「焦れったい」。「燥」は、「かわ・く」「はしゃぐ」という意味がありますが、乾いて焦げてといった連想から宛てたのでしょうか。雰囲気は出ていますが、読めといわれたら中々難しいですな。
●《髑髏》(されこうべ)
「でございますから、ある時は机の上に髑髏がのっていたり、ある時はまた、銀の椀や蒔絵の高坏が並んでいたり、その時描いている画次第で、…」
→熟字訓。どくろですね。いずれも1級配当。1級受検者にとっては、読めるのは勿論、書けなければいけません。「ほねへん」+、つくりである「蜀」(独の旧字である獨と同じつくり)、「婁」(縷々と同じつくり)。セットで覚えましょう。
●《耳木兎》(みみずく)
「都育ちの人間はそれだから困る。これは二三日前に鞍馬の猟師がわしにくれた耳木兎と云う鳥だ。ただ、こんなに馴れているのは、沢山あるまい」
→熟字訓。《角鴟》、《木莵》、《鴟■》とも書きます(■=休+鳥)。「フクロウ」との違いはよく分かりません。耳のような部分があるかないかでしょうか。フクロウは「梟」。1級配当で音読みは「キョウ」。基本熟語は「梟雄」「梟勇」(いずれもキョウユウ)。「梟し首」(さらしくび=晒し首)は難読語彙。
●《水沫》(しぶき)、饐えた(すえた)
「その度にばさばさと、淒じく翼を鳴すのが、落葉の匂だか、滝の水沫ともあるいはまた猿酒の饐えたいき
れだか何やら怪しげなもののけはいを誘って、…」
→熟字訓。普通は《飛沫》と書きます。「沫」は準1級配当で、音読みは「マツ」、訓読みは「あわ」。基本熟語は「飛沫」(ヒマツ)、「泡沫」(ホウマツ)、「沫雪」(あわゆき)=淡雪。
→食物がくさって、酸っぱくなること。湯気がこもって飯が酸っぱくなること。1級配当。「饐る(くさ・る)」と訓むこともあります。同じ音符の「噎」(エツ)も1級配当で、こちらは「むせ・ぶ」。喉を詰まらせて涕く意味の「噎び泣き」ですね。「噫噎」(アイエツ)という難読熟語も。「饐」も「饐ぶ」(むせぶ)と訓むことがあるようです。
●更が闌ける(コウがたける)
「ちょうどその頃の事でございましょう。ある夜、更が闌けてから、私が独り御廊下を通りからりますと、あの猿の良秀がいきなりどこからか飛んで参りまして、私の袴の裾をしきりにひっぱるのでございます。」
→夜が深々と更けること。「更闌ける」ともいう。「更」は、日没から日出までの間を五等分して喚ぶ時刻の名。午後7時から同9時の日暮れ後が「一更(初更)」、同9時から同11時が「二更」、同11時から午前1時が「三更」、同1時から同3時が「四更」、そして、同3時から同5時の夜明け前が「五更」。
「闌ける」は「時間がたけなわになること」。「闌」は1級配当で「たけなわ」。音読みは「ラン」。「たけなわ」は「酣」(1級配当、「カン」)とも書き、必須漢字。「宴も…」と来ると、「酣」か「闌」のどちらがふさわしいか?「たけなわ」と言っても、前者が「やや盛りが過ぎ気味」、後者が「まさに真っ盛り」と微妙に意味は違うようですから、その場の盛り上がり具合で使い分けるのでしょうね。
●しどけない
「頬も赤く燃えて居りましたろう。そこへしどけなく乱れた袴や袿が、いつもの幼さとは打って変った艶しささえも添えております。」
→身なりがだらしなく乱れたさま。多くは女性の服装がだらしないさまを云います。残念ながら宛てられる漢字はないようです。ちなみに「袴」は「はかま」、「袿」は「うちぎ」。「袿」は1級配当で「貴婦人が襲の上に着た衣服」。良秀の娘は「既遂」なのか「未遂」なのか。仮に「既遂」であったとしても「心」までは売らなかったことが「逆鱗」に触れたのか?気になるところです。
●嗄れた(しわがれた)
「いつもよりは一層気むずかしそうな顔をしながら。恭しく御前へ平伏致しましたが、やがて嗄れた声で申しますには、…」
→声がかすれていること。「嗄」は1級配当。音読みは「サ」。「嗄声」(サセイ)。訓読みは、「しわがれる」「かれる」「しゃがれる」。
●睨める(ねめる)
「しばらくはただ苛立たしそうに、良秀の顔を睨めて御出になりましたが、やがて眉を険しく御動かしになりながら、『では何が描けぬと申すのじゃ。』と打捨るように仰有ました。」
→にらみつけること。「睨」は1級配当で、音読みは「ゲイ」。「睥睨」(ヘイゲイ)は基本熟語。「にらむ」は、「睨む」「睥む」「睚む」「眦む」「眥む」「眈む」「盻む」「俾む」「倪む」があります。有名な故事成語の「睚眥の怨みも必ず報ゆ」(ガイサイのうらみ)はぜひ覚えましょう。「ちょっとガンを飛ばされたような恨みも忘れぬ。いつか絶対仕返ししてやる」ということです。お~こわ。
●檳榔毛の車(ビロウげ)
「『どうか檳榔毛の車を一輛、私の見ている前で、火をかけて頂きとうございまする。そうしてもし出来まするならば――』 」
→檳榔または菅の葉を細かく割いて毛のようにして編んだもので屋根を葺いてある牛車のこと。「毛車(けぐるま)」ともいう。上皇以下四位以上・ 僧正・大 僧都・ 女房らが使用する。蘇芳簾、蘇芳裾濃の 下簾、物見がなく開き戸があり、 繧燗縁(うんげんべり)の 畳を敷いてあった。
「檳榔」(ビロウ、ともに1級配当)はヤシ科の熱帯産の常緑樹。姿は棕櫚(シュロ)に似ている。葉を白く晒して細かく裂いたもので、牛車の屋根を葺いたり左右の側面を飾ったりした。
▼牛車のパーツにもさまざまな漢字が使われています。「轅」(ながえ)は、車の前方、左右に長く前に出ている木のこと。「榻」(しじ)は、机のような形をした台で、車から牛を放した時に車を水平に保つため「軛」(くびき=轅の端にあって、牛の頚に当る横木のこと)の下に置くもの。上に錦を押し、四方の隅に 総角に結んだ紐を垂れる。
●鷙鳥(シチョウ)
「そうしてそのまわりには、怪しげな鷙鳥が十羽となく、二十羽となく、嘴を鳴らして紛々と飛び繞っているのでございまする。――ああ、それが、その牛車の中の上臈が、どうしても私には描けませぬ。」
→鷲、鷹などの猛禽。ほかの鳥や小動物を捕捉する。「鷙禽」とも。「鷙」は1級配当で、「荒々しい」。故事成語に「鷙鳥百を累(かさ)ぬるも一鶚(イチガク)に如かず」があります。意味は「無能なものが大勢で騒いでも、たった一人の有能な人物にはかなわない」。「鶚」は1級配当で、「みさご」(「雎」)。目が鋭く、水辺にすんで魚を捕らえる、やはりこれも鷙鳥ですが、さらに上をいく「鋭い人物」をたとえるもののようです。出典は後漢書「魯仲連鄒陽伝」。ちなみに「嘴」は1級配当で「くちばし」。「繞る」は「めぐる」。「上臈(=﨟)」は「じょうろう」。高級女官のことです。「臈長ける」(ろうたける)もお忘れなく。
●流し眄(ながしめ)
「大殿様はこう仰有って、御側の者たちの方を流し眄に御覧になりました。」
→「眄」は1級配当で、これ一字でも「ながしめ」と訓みます。音読みは「ベン」。四字熟語に「きょろきょろする」という意味の「右顧左眄」(ウコサベン)があります。「眄睨」(ベンゲイ)は「ながしめでにらむ」。
●眴せ(めくばせ)
「大殿様はまた言を御止めになって、御側の者たちに眴をなさいました。」
→「眴」は1級配当外(JIS第3水準8880)で「またたく」。漢字の構成は、目偏に「旬」。日が十日で一巡りすることから、目がくるくると回る、素早く目を回すなどの意味です。覚えやすいですな。
●すべらかし、釵子(サイシ)
「きらびやかな繍のある桜の唐衣にすべらかし黒髪が艶やかに垂れて、うちかたむいた黄金の釵子も美しく輝いて見えましたが、身なりこそ違え、小造りな体つきは、…」
→垂髪。たれがみ。婦人の下げ髪の一種。十二単(じゅうにひとえ)を着る時の後ろに長く垂れ下げた髪型のこと。正式には、“大垂髪(おおすべらかし) ”といいます。髪飾りとして、釵子(さいし)をつけます。
→髪を結い上げてまとめるときに用いる、ヘアピン的なもの。女房装束(にょうぼうしょうぞく)で、宝髻(ホウケイ)という、額上にお団子をひとつ結い上げたような髪型にするときなどに使用する。「釵」は1級配当で、訓読みは「かんざし」。「笄」「簪」もなかまですね。四字熟語にやや艱しい「荊釵布裙」(ケイサイフクン=粗末な服装の喻え)があり。
●法悦(ホウエツ)
「あのさっきまで地獄の責苦に悩んでいたような良秀は、今は云いようのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮かべながら、大殿様の御前も忘れたのか、両腕をしっかり胸に組んで、佇んでいるではございませんか。」
→神の神髄に触れることで湧き起こる至上の喜び。忘我のエクスタシーですね。
●随喜(ズイキ)
「まして私たちは仕丁までも、皆息をひそめながら、身の内も震えるばかり、異様な随喜の心に充ち満ちて、まるで開眼の仏でも見るように、眼も離さず、良秀を見つめました。」
→心からありがたいと感ずること。「随喜渇仰」(ズイキカツゴウ)は、「心から喜んで仏道に帰依し、深く仏を信仰すること。また、深く物事に打ち込み熱中すること」。「随喜の涙」は「善行に接したとき、喜びのあまりに零す涙」。ちなみに《芋茎》も「ずいき」と訓みます。意味は「サトイモの茎」。全く関係ありませんね。
2008年2月10日日曜日
2008年2月3日日曜日
芥川漢字演習帳第4回
【手巾】
●風馬牛の間柄(フウバギュウのあいだがら)
「先生は、由来、芸術――殊に演劇とは、風馬牛の間柄である。」
→互いに遠く離れていること。何の関係もないことのたとえ。《『風』は、獣のさかりがつくこと。(交尾期の牛や馬は相手を求めて遠くへ行くが、それもできないほどその土地が遠く隔たっていることから)》(成語林)、「風する馬牛も相及ばす」とも言うようです。出典は春秋左氏伝の「僖公四年」。原文はつまり、「演劇には全くの門外漢だ」ということですね。味わい深い表現ですなあ。
●簡勁(カンケイ)
「――だから、先生はストリントベルクが、簡勁な筆で論評を加えて居る各種の演出法に対しても、先生自身の意見と云うものは、…」
→言葉や文章が簡潔で力強いこと。「勁」は1級配当で、「つよ・い」と訓みます。「疾風勁草」(シップウケイソウ)で有名ですね。音符「ケイ」は「痙」「逕」「脛」「頸」「剄」「徑」とあります。
●《寄木》(モザイク)
「何かの拍子で、朝鮮団扇が、先生の手をすべって、ぱたりと寄木の床の上に落ちた。」
→寄木と書いてモザイクと読ませる宛字ですね。螺鈿のモザイクはお洒落かも。
【母】
●没交渉(ボツコウショウ)
「――男はそれらを見守りながら、現在の気もちとは没交渉に、一瞬間妻の美しさを感じた」
→無関係。「ボッコウショウ」とも読みます。SEXのなくなった冷えた夫婦関係を表した言葉かもしれません。
●汪然(オウゼン)
「――張り切った母の乳房の下から、汪然と湧いて来る得意の情は、どうする事も出来なかったのである。」
→水が盛んに流れるさま。「汪」は1級配当で、「水が広がるさま」。「汪溢」=「横溢」や、「汪汪」などの熟語もあります。
●《水脈》(みお)
「赤濁りに濁った長江の水に、眩い水脈を引いたなり、西か東へ去ったのであろう。」
→熟字訓。川や海で舟が航行する道筋。水尾。水路。澪標(みおつくし)の澪(みお)。ちなみに「眩い」は「まばゆ・い」。
【羅生門】
●《汗袗》(かざみ)
「下人は、頸をちじめながら、山吹の汗袗に重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。」
→汗取りの単衣。熟字訓。「袗」(シン)は1級配当。目の細かい単衣のことです。もっとも、「かざみ」と言えば、漢字検定では《汗衫》(音読みは「カンサン」)の方が一般的かもしれません。「衫」(サン、セン)は1級配当で、こまごました下着のこと。ポルトガルから入ったもんぺみたいな「軽衫」(カルサン)もあります。
●眶(まぶた)
「両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼玉が眶の外へ出そうになるほど、見開いて、啞のように執拗く黙っている。」
→一般的には目蓋と書きます。あるいは「瞼」(1級配当)。眶は配当外で、「まぶち」とも訓むようです。目の上だけでなく外枠すべてを指します。ちなみに「執拗く」は宛字訓みで「しゅうね・く」。「啞」は「おし」。
●《疫病》(えやみ)
「疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。」
→宛字で、流行性の悪病。おこり。「えやみ」と言えば、「癘」「瘟」が1級配当ですが、少し艱しいか。「おこり」は、「疥」「瘧」とも書きます。
【藪の中】
●賓頭盧(ビンズル)
「昨年の秋鳥部寺の賓頭盧の後の山に、物詣でに来たらしい女房が一人、女の童と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業だとか申し立て居りました。」
→「釈迦仏の弟子。弟子中でも獅子吼(ししく)第一と称される。また十六羅漢の一人。漢訳では、賓度羅・跋羅闍、賓頭盧・突羅闍(とらじゃ)、賓頭盧・頗羅堕(はらだ)などとも音写し、名がピンドラ、姓をパラダージャである。名前の意味は、不動、利根という。パラダージャはバラモン十八姓の中の一つである。略称して賓頭盧(びんづる)尊者と呼ばれる」(ウィキ)。「撫で仏」とも言うようです。
●《小刀》(さすが)
「いつのまにか懐から出していたか、きらりと小刀を引き抜きました。」
→熟字訓。さしがたな。刺刀。簡単な漢字ですが簡単には読めませんな。ちなみに、「さすが」と言えば、「流石」(漱石枕流から由来)、「遉」などがあり、結構試験には出ます。
●嗔恚(シンイ)
「おれは中有に迷っていても、妻の返事を思い出すごとに、嗔恚に燃えなかったためしはない。」
→激しい怒り。ともに1級配当。「嗔」は「瞋」とも書き、これも1級配当。口偏と目偏の違いです。一般的には「瞋恚」でしょう。いかりは「嗔り」「馮り」「愾り」「慍り」「悁り」「怫り」「忿り」「噁り」「嚇り」「瞋り」「恚り」「碇」。最後はギャグです。読めて書けるようにしましょう。
●杪(うら)
「ただ杉や竹の杪に、寂しい日影が漂っている。」
→「すえ」とも読みます。こずえ、木の先っぽのことです。1級配当。音読みは「ビョウ」。熟語に「杪春」(ビョウシュン)があります。この場合は「末」という意味で、遅い春、則ち3月弥生のことです。
●風馬牛の間柄(フウバギュウのあいだがら)
「先生は、由来、芸術――殊に演劇とは、風馬牛の間柄である。」
→互いに遠く離れていること。何の関係もないことのたとえ。《『風』は、獣のさかりがつくこと。(交尾期の牛や馬は相手を求めて遠くへ行くが、それもできないほどその土地が遠く隔たっていることから)》(成語林)、「風する馬牛も相及ばす」とも言うようです。出典は春秋左氏伝の「僖公四年」。原文はつまり、「演劇には全くの門外漢だ」ということですね。味わい深い表現ですなあ。
●簡勁(カンケイ)
「――だから、先生はストリントベルクが、簡勁な筆で論評を加えて居る各種の演出法に対しても、先生自身の意見と云うものは、…」
→言葉や文章が簡潔で力強いこと。「勁」は1級配当で、「つよ・い」と訓みます。「疾風勁草」(シップウケイソウ)で有名ですね。音符「ケイ」は「痙」「逕」「脛」「頸」「剄」「徑」とあります。
●《寄木》(モザイク)
「何かの拍子で、朝鮮団扇が、先生の手をすべって、ぱたりと寄木の床の上に落ちた。」
→寄木と書いてモザイクと読ませる宛字ですね。螺鈿のモザイクはお洒落かも。
【母】
●没交渉(ボツコウショウ)
「――男はそれらを見守りながら、現在の気もちとは没交渉に、一瞬間妻の美しさを感じた」
→無関係。「ボッコウショウ」とも読みます。SEXのなくなった冷えた夫婦関係を表した言葉かもしれません。
●汪然(オウゼン)
「――張り切った母の乳房の下から、汪然と湧いて来る得意の情は、どうする事も出来なかったのである。」
→水が盛んに流れるさま。「汪」は1級配当で、「水が広がるさま」。「汪溢」=「横溢」や、「汪汪」などの熟語もあります。
●《水脈》(みお)
「赤濁りに濁った長江の水に、眩い水脈を引いたなり、西か東へ去ったのであろう。」
→熟字訓。川や海で舟が航行する道筋。水尾。水路。澪標(みおつくし)の澪(みお)。ちなみに「眩い」は「まばゆ・い」。
【羅生門】
●《汗袗》(かざみ)
「下人は、頸をちじめながら、山吹の汗袗に重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。」
→汗取りの単衣。熟字訓。「袗」(シン)は1級配当。目の細かい単衣のことです。もっとも、「かざみ」と言えば、漢字検定では《汗衫》(音読みは「カンサン」)の方が一般的かもしれません。「衫」(サン、セン)は1級配当で、こまごました下着のこと。ポルトガルから入ったもんぺみたいな「軽衫」(カルサン)もあります。
●眶(まぶた)
「両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼玉が眶の外へ出そうになるほど、見開いて、啞のように執拗く黙っている。」
→一般的には目蓋と書きます。あるいは「瞼」(1級配当)。眶は配当外で、「まぶち」とも訓むようです。目の上だけでなく外枠すべてを指します。ちなみに「執拗く」は宛字訓みで「しゅうね・く」。「啞」は「おし」。
●《疫病》(えやみ)
「疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。」
→宛字で、流行性の悪病。おこり。「えやみ」と言えば、「癘」「瘟」が1級配当ですが、少し艱しいか。「おこり」は、「疥」「瘧」とも書きます。
【藪の中】
●賓頭盧(ビンズル)
「昨年の秋鳥部寺の賓頭盧の後の山に、物詣でに来たらしい女房が一人、女の童と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業だとか申し立て居りました。」
→「釈迦仏の弟子。弟子中でも獅子吼(ししく)第一と称される。また十六羅漢の一人。漢訳では、賓度羅・跋羅闍、賓頭盧・突羅闍(とらじゃ)、賓頭盧・頗羅堕(はらだ)などとも音写し、名がピンドラ、姓をパラダージャである。名前の意味は、不動、利根という。パラダージャはバラモン十八姓の中の一つである。略称して賓頭盧(びんづる)尊者と呼ばれる」(ウィキ)。「撫で仏」とも言うようです。
●《小刀》(さすが)
「いつのまにか懐から出していたか、きらりと小刀を引き抜きました。」
→熟字訓。さしがたな。刺刀。簡単な漢字ですが簡単には読めませんな。ちなみに、「さすが」と言えば、「流石」(漱石枕流から由来)、「遉」などがあり、結構試験には出ます。
●嗔恚(シンイ)
「おれは中有に迷っていても、妻の返事を思い出すごとに、嗔恚に燃えなかったためしはない。」
→激しい怒り。ともに1級配当。「嗔」は「瞋」とも書き、これも1級配当。口偏と目偏の違いです。一般的には「瞋恚」でしょう。いかりは「嗔り」「馮り」「愾り」「慍り」「悁り」「怫り」「忿り」「噁り」「嚇り」「瞋り」「恚り」「碇」。最後はギャグです。読めて書けるようにしましょう。
●杪(うら)
「ただ杉や竹の杪に、寂しい日影が漂っている。」
→「すえ」とも読みます。こずえ、木の先っぽのことです。1級配当。音読みは「ビョウ」。熟語に「杪春」(ビョウシュン)があります。この場合は「末」という意味で、遅い春、則ち3月弥生のことです。
2008年1月21日月曜日
芥川漢字演習帳第3回
【桃太郎】
●《流蘇》(ふさ)
「花は真紅の衣蓋に黄金の流蘇を垂らしたようである。」
→房、総のこと。熟字訓。五彩の絲を雑へて旌旗(セイキ。 はた、のぼり、軍旗)、幕につけるふさ。ウィキには「色とりどりの羽毛、または絹糸を束ねて作られた房の飾りである(房のことを中国で は穂子 スイズという)。よく中国の舞台衣装に使われるスカートの下についている。 流蘇のデザインは流蘇樹の花の形から発想を得たとされる」とある。
【湖南の扇】
●艫(へさき)
「譚は若い船頭に命令を与える必要上、ボオトの艫に陣どっていた。」
→船首。1級配当。「舳艫千里」(ジクロセンリ)という四字熟語がありますが、この場合、「舳」は船首、「艫」は船尾。今回とは逆になります。船尾は「とも」。文脈を読めば、命令するのですから船首となるでしょう。日中で意味が逆になるという説もあり注意が必要です。
●蝗(いなご)
「それは実際人間よりも、蝗に近い早業だった。」
→1級配当。《飛蝗》は「ばった」。
●話頭を一転する(ワトウ)
「ちょっと真面目になったと思うと、無造作に話頭を一転した。」
→話題を変えること。閑話休題ですね。
●倉皇(ソウコウ)
「殆ど仇にでも遇ったように倉皇と僕にオペラ・グラスを渡した。」
→あわてて。「蒼惶」の書き換えですね。よく出ます。
●宛囀(エンテン)
「片手を彼の膝の上に置き、宛囀と何かしゃべり出した。」
→よどみなく調子のよいこと。宛転とも書きます。「囀」は「さえずる」こと。つくりは艱しく、「くちぐるま、じゅうたむすん」と我流で覚えました。有名な古諺に「勧学院の雀は蒙求を囀る」があります。意味は「門前の小僧習わぬ経を誦む」。
〔オマケ〕
この作品は舞台が湖南省です。中国語がいくつか出てきましたので羅列しておきます。
▼苦力(クウリイ)=人夫
▼大掛児(タアクアル)=足首まで長い単の上着。中国服。
▼鴇婦(ポオプウ)=遊女の世話をする老女。
▼是了(シイラ)=OK、YES
▼這箇(チイコ)=それで、その
【点鬼簿】
●点鬼簿(テンキボ)
「僕の『点鬼簿』に加えたいのは勿論この姉のことではない。」
→死者の姓名を記した帳面。過去帳。「死ぬ」という慣用句の「鬼籍に入る」は、閻魔大王の閻魔帳に名前が記されること。
●垂死(スイシ)
「垂死の僕の父を残したまま、築地のある待合へ出かけて行った。」
→今にも死にそうなこと。類義語は「瀕死」「危篤」。「垂とする」は表外読みで「なんなん・とする」。「今にも~しそう」という意味です。「百歳に垂とする老人」「観客は5万人に垂とする」のように使います。
【枯野抄】
●扞格(カンカク)
「…この満足と悔恨の扞格から、自然とある程度の掣肘を感じ出した。」
→矛盾。撞着。「扞」は1級配当。訓読みは「ふせ・ぐ」「おか・す」とも。「扞」も「格」も意味は「こばむ」です。簡単な字ですが、なかなか馴染みが薄い言葉です。しっかり覚えましょう。異体字で「捍格」とも書きます。有名な故事成語に「白刃(ハクジン)胸を扞(おか)せば則ち目流矢(リュウシ)を見ず」(大きな困難に出会ったときには、小さな問題にかかわっていられないこと)があります。出典は「荀子」の「彊国」。ちなみに「掣肘」は「セイチュウ」で、横槍、邪魔の意味。
●哄笑(コウショウ)
「それはまるで腹の底からこみ上げて来る哄笑が、喉と唇とに堰かれながら、しかもなお可笑しさに堪え兼ねて、ちぎれちぎれに鼻の孔から、迸って来るような声であった。」
→どっと笑うこと。大笑い。一人では出来ない笑いです。「哄」は1級配当。笑いの種類には、「嗤笑」(シショウ)、「哂笑」(シンショウ)は嘲り笑うこと(嘲笑)もあります。いずれも読みに注意の1級漢字です。
●歔欷(キョキ)
「が、この時歔欷するらしいけはいを洩らしたのは、独り乙州ばかりではない。」
→啜り泣き。いずれも1級配当。それぞれ一字で「欷き、歔き」とも訓みます。口偏で「噓唏」とも書きます。音符からキョキと読めると思いますが、本番では書けなければいけません。よくでます。
●横風に構える(オウフウ)
「彼はいつもの通り浅黒い顔に、いつも妙に横風に構えながら、無造作に師匠の唇へ水を塗った。」
→偉そうに人を見くだす態度をとること。類義語に「不遜」「 倨傲」(キョゴウ)「 傍若無人」「 傲倨」「 傲岸」「 傲岸不遜」(ゴウガンフソン)「 傲岸無礼」「傲慢」「 尊大」「強慢」「 権高」(ケンコウ)「 横柄」(オウヘイ)「気位」「自惚れ」「驕傲」(キョウゴウ)「驕慢」などがあり、すべて読めて書けるようにしましょう。
●素懐(ソカイ)
「こう云う美しい蒲団の上で、往生の素懐を遂げる事が出来るのは、何よりも悦ばしい」
→平素の願い。かねての志。特に仏教で、極楽往生や出家を願うこと。類義語は「宿願」「宿望」「素子」「宿志」「素意」。
●弾指の間に迫る(ダンシのカン)
「芭蕉の断末魔もすでにもう、弾指の間に迫ったのであろう。」
→わずかの間に迫る。すぐそこまで来ていること。「弾指」は「ダンジ」とも読み、「本来、仏教でいう時間の最小単位で、一つの意識の起こる時間」。正法眼蔵に「一弾指の間に六十五の刹那ありて」と見える。一説に「1弾指=0.85秒、1刹那=0.01333秒、あるいは1刹那=1/75秒」とか。
きわめて短い時間を表す言葉はたくさんあります。「露の間」」(つゆのま) 「寸陰」 (すんいん) 「刹那」」(せつな)。
●■□逡巡(シソシュンジュン)
「それならば――ああ、誰かに徒に■□逡巡して、己を欺くの愚を敢てしよう。」
→ためらうこと。■は「足偏+咨」(JIS第4水準8941)。□は「足偏+且」(JIS第4水準8928)。いずれも1級配当外のとても難しい漢字です。意味は「とどこおること」「ゆきなやむこと」。四字熟語では「狐疑逡巡」を覚えておけばいいのですが、遉は芥川です、とても素晴しい語彙です。
●桎梏(シッコク)
「久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈していた彼の自由な精神が、その本来の力をもって、ようやく手足を伸ばそうとする、解放の喜びだったのである。」
→自由を束縛して邪魔だてすること。いずれも1級配当。この「桎梏」という熟語のみで使います。ちなみに「桎」は「あしかせ」、「梏」は「てかせ」。
●溘然(コウゼン)、属纊に就く(ショクコウ、ショッコウ)
「こうして、古今に倫を絶した俳諧の大宗匠、芭蕉庵松尾桃青、『悲歎かぎりなき』門弟たちに囲まれたまま、溘然として属纊に就いたのである。」
→たちまち、突然。死ぬときに使います。「溘焉」とも言います。1級配当。読みでも書きでも出そう。
→臨終のこと。とても艱しい言葉です。初めて見ました。辞書で銓べても載っていません。サイト検索で、「人の臨終の時、綿をもって属鼻穴を纊す。息の絶を知る。故に臨終と呼(ヨバ)して属纊といふ」「死にかかった人の口に纊をあてて、呼吸の有無をみることをいふ」というのがみつかりましたので、そのまま載せておきます。「纊(わた)を屬(つ)く」というのもありました。「臨終の前の危篤状態」のことで、「纊(こう)」は「わた(綿)」。1級配当漢字です。「むかしの中国の「礼」で、人が臨終するとき、綿を口に近づけ、息をしているかどうか確かめたことから」とありました。あまり問題で見たことはありません。流石は博識の芥川ですな。
●《流蘇》(ふさ)
「花は真紅の衣蓋に黄金の流蘇を垂らしたようである。」
→房、総のこと。熟字訓。五彩の絲を雑へて旌旗(セイキ。 はた、のぼり、軍旗)、幕につけるふさ。ウィキには「色とりどりの羽毛、または絹糸を束ねて作られた房の飾りである(房のことを中国で は穂子 スイズという)。よく中国の舞台衣装に使われるスカートの下についている。 流蘇のデザインは流蘇樹の花の形から発想を得たとされる」とある。
【湖南の扇】
●艫(へさき)
「譚は若い船頭に命令を与える必要上、ボオトの艫に陣どっていた。」
→船首。1級配当。「舳艫千里」(ジクロセンリ)という四字熟語がありますが、この場合、「舳」は船首、「艫」は船尾。今回とは逆になります。船尾は「とも」。文脈を読めば、命令するのですから船首となるでしょう。日中で意味が逆になるという説もあり注意が必要です。
●蝗(いなご)
「それは実際人間よりも、蝗に近い早業だった。」
→1級配当。《飛蝗》は「ばった」。
●話頭を一転する(ワトウ)
「ちょっと真面目になったと思うと、無造作に話頭を一転した。」
→話題を変えること。閑話休題ですね。
●倉皇(ソウコウ)
「殆ど仇にでも遇ったように倉皇と僕にオペラ・グラスを渡した。」
→あわてて。「蒼惶」の書き換えですね。よく出ます。
●宛囀(エンテン)
「片手を彼の膝の上に置き、宛囀と何かしゃべり出した。」
→よどみなく調子のよいこと。宛転とも書きます。「囀」は「さえずる」こと。つくりは艱しく、「くちぐるま、じゅうたむすん」と我流で覚えました。有名な古諺に「勧学院の雀は蒙求を囀る」があります。意味は「門前の小僧習わぬ経を誦む」。
〔オマケ〕
この作品は舞台が湖南省です。中国語がいくつか出てきましたので羅列しておきます。
▼苦力(クウリイ)=人夫
▼大掛児(タアクアル)=足首まで長い単の上着。中国服。
▼鴇婦(ポオプウ)=遊女の世話をする老女。
▼是了(シイラ)=OK、YES
▼這箇(チイコ)=それで、その
【点鬼簿】
●点鬼簿(テンキボ)
「僕の『点鬼簿』に加えたいのは勿論この姉のことではない。」
→死者の姓名を記した帳面。過去帳。「死ぬ」という慣用句の「鬼籍に入る」は、閻魔大王の閻魔帳に名前が記されること。
●垂死(スイシ)
「垂死の僕の父を残したまま、築地のある待合へ出かけて行った。」
→今にも死にそうなこと。類義語は「瀕死」「危篤」。「垂とする」は表外読みで「なんなん・とする」。「今にも~しそう」という意味です。「百歳に垂とする老人」「観客は5万人に垂とする」のように使います。
【枯野抄】
●扞格(カンカク)
「…この満足と悔恨の扞格から、自然とある程度の掣肘を感じ出した。」
→矛盾。撞着。「扞」は1級配当。訓読みは「ふせ・ぐ」「おか・す」とも。「扞」も「格」も意味は「こばむ」です。簡単な字ですが、なかなか馴染みが薄い言葉です。しっかり覚えましょう。異体字で「捍格」とも書きます。有名な故事成語に「白刃(ハクジン)胸を扞(おか)せば則ち目流矢(リュウシ)を見ず」(大きな困難に出会ったときには、小さな問題にかかわっていられないこと)があります。出典は「荀子」の「彊国」。ちなみに「掣肘」は「セイチュウ」で、横槍、邪魔の意味。
●哄笑(コウショウ)
「それはまるで腹の底からこみ上げて来る哄笑が、喉と唇とに堰かれながら、しかもなお可笑しさに堪え兼ねて、ちぎれちぎれに鼻の孔から、迸って来るような声であった。」
→どっと笑うこと。大笑い。一人では出来ない笑いです。「哄」は1級配当。笑いの種類には、「嗤笑」(シショウ)、「哂笑」(シンショウ)は嘲り笑うこと(嘲笑)もあります。いずれも読みに注意の1級漢字です。
●歔欷(キョキ)
「が、この時歔欷するらしいけはいを洩らしたのは、独り乙州ばかりではない。」
→啜り泣き。いずれも1級配当。それぞれ一字で「欷き、歔き」とも訓みます。口偏で「噓唏」とも書きます。音符からキョキと読めると思いますが、本番では書けなければいけません。よくでます。
●横風に構える(オウフウ)
「彼はいつもの通り浅黒い顔に、いつも妙に横風に構えながら、無造作に師匠の唇へ水を塗った。」
→偉そうに人を見くだす態度をとること。類義語に「不遜」「 倨傲」(キョゴウ)「 傍若無人」「 傲倨」「 傲岸」「 傲岸不遜」(ゴウガンフソン)「 傲岸無礼」「傲慢」「 尊大」「強慢」「 権高」(ケンコウ)「 横柄」(オウヘイ)「気位」「自惚れ」「驕傲」(キョウゴウ)「驕慢」などがあり、すべて読めて書けるようにしましょう。
●素懐(ソカイ)
「こう云う美しい蒲団の上で、往生の素懐を遂げる事が出来るのは、何よりも悦ばしい」
→平素の願い。かねての志。特に仏教で、極楽往生や出家を願うこと。類義語は「宿願」「宿望」「素子」「宿志」「素意」。
●弾指の間に迫る(ダンシのカン)
「芭蕉の断末魔もすでにもう、弾指の間に迫ったのであろう。」
→わずかの間に迫る。すぐそこまで来ていること。「弾指」は「ダンジ」とも読み、「本来、仏教でいう時間の最小単位で、一つの意識の起こる時間」。正法眼蔵に「一弾指の間に六十五の刹那ありて」と見える。一説に「1弾指=0.85秒、1刹那=0.01333秒、あるいは1刹那=1/75秒」とか。
きわめて短い時間を表す言葉はたくさんあります。「露の間」」(つゆのま) 「寸陰」 (すんいん) 「刹那」」(せつな)。
●■□逡巡(シソシュンジュン)
「それならば――ああ、誰かに徒に■□逡巡して、己を欺くの愚を敢てしよう。」
→ためらうこと。■は「足偏+咨」(JIS第4水準8941)。□は「足偏+且」(JIS第4水準8928)。いずれも1級配当外のとても難しい漢字です。意味は「とどこおること」「ゆきなやむこと」。四字熟語では「狐疑逡巡」を覚えておけばいいのですが、遉は芥川です、とても素晴しい語彙です。
●桎梏(シッコク)
「久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈していた彼の自由な精神が、その本来の力をもって、ようやく手足を伸ばそうとする、解放の喜びだったのである。」
→自由を束縛して邪魔だてすること。いずれも1級配当。この「桎梏」という熟語のみで使います。ちなみに「桎」は「あしかせ」、「梏」は「てかせ」。
●溘然(コウゼン)、属纊に就く(ショクコウ、ショッコウ)
「こうして、古今に倫を絶した俳諧の大宗匠、芭蕉庵松尾桃青、『悲歎かぎりなき』門弟たちに囲まれたまま、溘然として属纊に就いたのである。」
→たちまち、突然。死ぬときに使います。「溘焉」とも言います。1級配当。読みでも書きでも出そう。
→臨終のこと。とても艱しい言葉です。初めて見ました。辞書で銓べても載っていません。サイト検索で、「人の臨終の時、綿をもって属鼻穴を纊す。息の絶を知る。故に臨終と呼(ヨバ)して属纊といふ」「死にかかった人の口に纊をあてて、呼吸の有無をみることをいふ」というのがみつかりましたので、そのまま載せておきます。「纊(わた)を屬(つ)く」というのもありました。「臨終の前の危篤状態」のことで、「纊(こう)」は「わた(綿)」。1級配当漢字です。「むかしの中国の「礼」で、人が臨終するとき、綿を口に近づけ、息をしているかどうか確かめたことから」とありました。あまり問題で見たことはありません。流石は博識の芥川ですな。
2008年1月11日金曜日
芥川漢字演習帳第2回
【鼠小僧次郎吉】
●平ぐけ(ひらぐけ)
「…形のごとく結城の単衣物に、八反の平ぐけを締めたのが、…」
→平絎け。帯の種類で、「丸絎け」が対義語。「絎縫い」(くけぬ・い)の「絎」(くけ)です。1級配当漢字です。
●《剳青》(ほりもの)
「手首まで彫ってある剳青が目立つせいか、糊の落ちた小弁慶の単衣物に算盤珠の三尺をぐるぐる巻きつけたのも、…」
→入れ墨の事ですね。熟字訓ながら「剳」は配当外。「箚」(「駐箚」がよく出る)と似ているので異体字と見ることもできましょうか。こちらも《箚青》と書いて「ほりもの」、「いれずみ」、音読みで「サッセイ」。入れ墨は、「黥」「刺青」「文身」とも書きます。「黥」は1級配当。「ゲイ」とも読み、ファッションではなく刑罰の一種。
●微醺(ビクン)
「時たまここに流れて来るそよ風も、微醺を帯びた二人の男には、刷毛先を少し…」
→ほろよい。一字で「醺い」(ほろよ・い)。音符は、燻製(薫製)の「燻(熏)」(クン)と同じ。燻す(いぶ・す)、燻らすくゆ・らす、燻ぶる(くす・ぶる)、燻べる(ふす・べる)。「葷酒山門」(クンシュサンモン、寺院内に入れてはならないもの)の「葷」とはちょっと違う。こちらは蒜、薤、辣韮など臭いがきつい野菜のこと。
●陰徳(イントク)
「悪党冥利にこのくれえな陰徳は積んで置きてえとね、…」
→人知れず行う恩徳。〔陰徳あれば陽報あり〕(成語林から)=陰で善い事を行う者には、必ず表に現れたよい報いがあるということ。出典は「淮南子」。
●極月(ごくげつ)
「忘れもし無え、極月の十一日、四谷の荒木町を振り出しに、…」
→師走。年の極まる月で、十二月ですね。
●鶸(ひわ)
「その桑の枝を掴んだ鶸も、寒さに咽喉を痛めたのか、…」
→アトリ科の小鳥の総称。スズメより小さい。季語は秋。熟字訓では《金翅雀》と書く。「鶸色」(ひわいろ)は、黄色の強い萌葱色。
●〔胡麻の蠅〕(ごまのはえ)
「あのでれ助が胡麻の蠅とは、こいつはちいと出来すぎたわい。…」
→旅人を脅したり、騙したりして金品を巻き上げる者。〔護摩の灰〕(ごまのはい)が元々の言い方で、成語林によると、「弘法大師の行った護摩の灰と称して押し売りをした者がいたことから」。転じて「胡麻の上にたかる蠅は見分けがつきにくいところから、蠅が物にたかる連想から」。
●すんでの事
「―と思ったら、すんでの事に、おれは吹き出す所だったが、その胡麻の蠅と今が今まで、いっしょに酒を飲んでいたと思や、…」 →もう少しのところで。あわや。漢字で書くと表外読みで「既の事」。
【煙管】
●《煙管》(キセル)
「前田斉広は、参覲中、江戸城の本丸へ登城する毎に、必ず愛用の煙管を持って行った。」
→熟字訓。きざみタバコをつめ、火をつけて吸う道具。
●増長慢(ゾウチョウマン)
「…人に見せびらかすほど、増長慢な性質のものではなかったかも知れない。」
→つけあがって高慢になること。「増上慢」(ゾウジョウマン)、「増上天」(ゾウジョウテン)とも云います。自信過剰ですね。
●寛濶(カンカツ)
「煙管をはたきながら、寛濶に声をかけた。」
→心がおおらかで、ゆったりしていること。「濶」は心がひろいこと。1級配当。訓読みは「ひろ・い」。「闊」の異体字です。こちらの形が一般的でしょう。「自由闊達」「闊達自在」「闊歩」「横行闊歩」「久闊を叙する」「迂闊」「疎闊」などよく出ます。基本中の基本漢字でしょう。
●賀節朔望(ガセツサクボウ)
「が、賀節朔望二十八日の登城の度に、必ず、それを一本ずつ坊主たちにとられるとなると、…」 →大名は、賀節、則ち慶事、祝賀の折と、参府や帰国の時、月々の一日と十五日に江戸城に登って将軍に拝謁した。朔望は月の盈ち虧けで陰暦の一日と十五日のことです。
●八朔(ハッサク)
「ことに、了哲が、八朔の登城の節か何かに、一本貰って、嬉しがっていた時なぞは、…」
→旧暦八月一日のこと。「朔」は「ついたち」。「徳川家康が天正18年8月1日(グレゴリオ暦1590年8月30日)に初めて公式に江戸城に入城したとされることから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていた」(ウィキペ)
●遺誡(イカイ)
「金無垢の煙管に懲りた斉広が、子孫に遺誡でも垂れた結果かも知れない」
→後人のために貽した訓戒。「遺戒」が書き換え。誡は「いましめる」。「箴め」「鐫め」「撕め」「飭め」「戒め」「警め」。さまざまな「イマシメ」があります。すべて覚えましょう。どれも出ます。「箴言」「戒飭」「提撕」「鐫録」「警句」などいずれも熟語としても覚えましょう。
【将軍】
●烱眼(ケイガン)
「『軍司令官閣下の烱眼には驚きました』」
→眼力の鋭いこと。慧眼の方が一般的でしょう。「烱」(ケイ)は1級配当。「炯」の異体字。訓読みは「あき・らか」。「眼光炯炯」「炯然」=目つきが鋭いさま。同じ音符は「迥」。こちらは「はる・か」。是非とも読めるようにしておきましょう。「迥然」(けいぜん)=迥かなさま、「迥出」(けいしゅつ)=抜きん出ていること。
●浩歎(コウタン)
「…大仰に天を仰ぎながら、長々と浩歎の独白を述べた。」
→大いに嘆くこと。深いため息。「歎」は「嘆」の書き換え。「浩」は孟子で有名な「浩然の気」で「ひろい」。「なげく」もいっぱい存ります。「欷く」「慟く」「慷く」「愾く」「嗟く」「嗚く」「喟く」「唏く」「咨く」「吁く」「慨く」。もちろん書き取りが出たら「嘆く」でOKで、(書き取り問題では出ないでしょうが)、読めるようにはしておかないといけません。そして、それぞれ熟語が存ります。これらは書けるようにしなければなりません。「欷歔」「唏嘘」「慟哭」「慷慨」「愾然」「咨嗟」「嗚噎」「喟然」(キゼン)「嗟吁」(ああ)「嗟嘆」「慨然」などなど。意味はすべて「なげくこと」「ため息」。
●《榲桲》(マルメロ)
「『また榲桲が落ちなければ好いが、…』」
→熟字訓。和名は、ポルトガル語の marmelo から。音読みは「オツボツ」。いずれも1級配当外。《榠櫨》とも書きます。(1級配当外、ベイロ)。「バラ科Cydonia属の唯一の種。西アジア、コーカサス地域原産の落葉高木。カリンやボケに近縁な果樹。リンゴや西洋ナシとも比較的縁が近い。果実は偽果で、熟した果実は明るい黄橙色で洋梨形。果実は芳香があるが強い酸味があり、硬い繊維質と石細胞のため生食はできないが、カリン酒とほぼ同じ分量で果実酒が作れる。成熟果の表面には軟毛が少し残っている場合があるので、よく落としてから切って漬け込む。カリン酒に似た、香りの良い果実酒ができる」(ウィキペ要約)。
●平ぐけ(ひらぐけ)
「…形のごとく結城の単衣物に、八反の平ぐけを締めたのが、…」
→平絎け。帯の種類で、「丸絎け」が対義語。「絎縫い」(くけぬ・い)の「絎」(くけ)です。1級配当漢字です。
●《剳青》(ほりもの)
「手首まで彫ってある剳青が目立つせいか、糊の落ちた小弁慶の単衣物に算盤珠の三尺をぐるぐる巻きつけたのも、…」
→入れ墨の事ですね。熟字訓ながら「剳」は配当外。「箚」(「駐箚」がよく出る)と似ているので異体字と見ることもできましょうか。こちらも《箚青》と書いて「ほりもの」、「いれずみ」、音読みで「サッセイ」。入れ墨は、「黥」「刺青」「文身」とも書きます。「黥」は1級配当。「ゲイ」とも読み、ファッションではなく刑罰の一種。
●微醺(ビクン)
「時たまここに流れて来るそよ風も、微醺を帯びた二人の男には、刷毛先を少し…」
→ほろよい。一字で「醺い」(ほろよ・い)。音符は、燻製(薫製)の「燻(熏)」(クン)と同じ。燻す(いぶ・す)、燻らすくゆ・らす、燻ぶる(くす・ぶる)、燻べる(ふす・べる)。「葷酒山門」(クンシュサンモン、寺院内に入れてはならないもの)の「葷」とはちょっと違う。こちらは蒜、薤、辣韮など臭いがきつい野菜のこと。
●陰徳(イントク)
「悪党冥利にこのくれえな陰徳は積んで置きてえとね、…」
→人知れず行う恩徳。〔陰徳あれば陽報あり〕(成語林から)=陰で善い事を行う者には、必ず表に現れたよい報いがあるということ。出典は「淮南子」。
●極月(ごくげつ)
「忘れもし無え、極月の十一日、四谷の荒木町を振り出しに、…」
→師走。年の極まる月で、十二月ですね。
●鶸(ひわ)
「その桑の枝を掴んだ鶸も、寒さに咽喉を痛めたのか、…」
→アトリ科の小鳥の総称。スズメより小さい。季語は秋。熟字訓では《金翅雀》と書く。「鶸色」(ひわいろ)は、黄色の強い萌葱色。
●〔胡麻の蠅〕(ごまのはえ)
「あのでれ助が胡麻の蠅とは、こいつはちいと出来すぎたわい。…」
→旅人を脅したり、騙したりして金品を巻き上げる者。〔護摩の灰〕(ごまのはい)が元々の言い方で、成語林によると、「弘法大師の行った護摩の灰と称して押し売りをした者がいたことから」。転じて「胡麻の上にたかる蠅は見分けがつきにくいところから、蠅が物にたかる連想から」。
●すんでの事
「―と思ったら、すんでの事に、おれは吹き出す所だったが、その胡麻の蠅と今が今まで、いっしょに酒を飲んでいたと思や、…」 →もう少しのところで。あわや。漢字で書くと表外読みで「既の事」。
【煙管】
●《煙管》(キセル)
「前田斉広は、参覲中、江戸城の本丸へ登城する毎に、必ず愛用の煙管を持って行った。」
→熟字訓。きざみタバコをつめ、火をつけて吸う道具。
●増長慢(ゾウチョウマン)
「…人に見せびらかすほど、増長慢な性質のものではなかったかも知れない。」
→つけあがって高慢になること。「増上慢」(ゾウジョウマン)、「増上天」(ゾウジョウテン)とも云います。自信過剰ですね。
●寛濶(カンカツ)
「煙管をはたきながら、寛濶に声をかけた。」
→心がおおらかで、ゆったりしていること。「濶」は心がひろいこと。1級配当。訓読みは「ひろ・い」。「闊」の異体字です。こちらの形が一般的でしょう。「自由闊達」「闊達自在」「闊歩」「横行闊歩」「久闊を叙する」「迂闊」「疎闊」などよく出ます。基本中の基本漢字でしょう。
●賀節朔望(ガセツサクボウ)
「が、賀節朔望二十八日の登城の度に、必ず、それを一本ずつ坊主たちにとられるとなると、…」 →大名は、賀節、則ち慶事、祝賀の折と、参府や帰国の時、月々の一日と十五日に江戸城に登って将軍に拝謁した。朔望は月の盈ち虧けで陰暦の一日と十五日のことです。
●八朔(ハッサク)
「ことに、了哲が、八朔の登城の節か何かに、一本貰って、嬉しがっていた時なぞは、…」
→旧暦八月一日のこと。「朔」は「ついたち」。「徳川家康が天正18年8月1日(グレゴリオ暦1590年8月30日)に初めて公式に江戸城に入城したとされることから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていた」(ウィキペ)
●遺誡(イカイ)
「金無垢の煙管に懲りた斉広が、子孫に遺誡でも垂れた結果かも知れない」
→後人のために貽した訓戒。「遺戒」が書き換え。誡は「いましめる」。「箴め」「鐫め」「撕め」「飭め」「戒め」「警め」。さまざまな「イマシメ」があります。すべて覚えましょう。どれも出ます。「箴言」「戒飭」「提撕」「鐫録」「警句」などいずれも熟語としても覚えましょう。
【将軍】
●烱眼(ケイガン)
「『軍司令官閣下の烱眼には驚きました』」
→眼力の鋭いこと。慧眼の方が一般的でしょう。「烱」(ケイ)は1級配当。「炯」の異体字。訓読みは「あき・らか」。「眼光炯炯」「炯然」=目つきが鋭いさま。同じ音符は「迥」。こちらは「はる・か」。是非とも読めるようにしておきましょう。「迥然」(けいぜん)=迥かなさま、「迥出」(けいしゅつ)=抜きん出ていること。
●浩歎(コウタン)
「…大仰に天を仰ぎながら、長々と浩歎の独白を述べた。」
→大いに嘆くこと。深いため息。「歎」は「嘆」の書き換え。「浩」は孟子で有名な「浩然の気」で「ひろい」。「なげく」もいっぱい存ります。「欷く」「慟く」「慷く」「愾く」「嗟く」「嗚く」「喟く」「唏く」「咨く」「吁く」「慨く」。もちろん書き取りが出たら「嘆く」でOKで、(書き取り問題では出ないでしょうが)、読めるようにはしておかないといけません。そして、それぞれ熟語が存ります。これらは書けるようにしなければなりません。「欷歔」「唏嘘」「慟哭」「慷慨」「愾然」「咨嗟」「嗚噎」「喟然」(キゼン)「嗟吁」(ああ)「嗟嘆」「慨然」などなど。意味はすべて「なげくこと」「ため息」。
●《榲桲》(マルメロ)
「『また榲桲が落ちなければ好いが、…』」
→熟字訓。和名は、ポルトガル語の marmelo から。音読みは「オツボツ」。いずれも1級配当外。《榠櫨》とも書きます。(1級配当外、ベイロ)。「バラ科Cydonia属の唯一の種。西アジア、コーカサス地域原産の落葉高木。カリンやボケに近縁な果樹。リンゴや西洋ナシとも比較的縁が近い。果実は偽果で、熟した果実は明るい黄橙色で洋梨形。果実は芳香があるが強い酸味があり、硬い繊維質と石細胞のため生食はできないが、カリン酒とほぼ同じ分量で果実酒が作れる。成熟果の表面には軟毛が少し残っている場合があるので、よく落としてから切って漬け込む。カリン酒に似た、香りの良い果実酒ができる」(ウィキペ要約)。
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